Column 補償コラム

【第1回】不動産鑑定士の独り言『プロローグ』

最終更新日:2026.01.27

 私が不動産鑑定士の道を歩み始めたのは昭和53年、最初は福島県内で業務に携わり、その後、故あって故郷である秋田市に事務所を構えたのが昭和57年であった。当時、秋田県内の不動産鑑定士はわずか7名ほど。新規開業ゆえに当初は顧客確保もままならず、基準地・公示地調査や市中銀行からの鑑定依頼が中心であった。

 

 しかし、時代は公共事業の最盛期。東北横断道秋田線、国道7号・13号の改築事業をはじめ、県道の拡幅改良も相次ぎ、国や県が手掛ける事業に多くの不動産鑑定評価のニーズが生まれていた。その断片に携わったことが、私を「公共用地取得」の世界へと導いた。

 

 不動産鑑定評価と公共事業の取得価格評価つまり土地評価は、一見似て非なるものである。土地評価は、損失補償基準細則に基づく複雑な作業であり、定型様式(いわゆる用対連様式)に沿うだけでなく、多数の図面や意見書を付け加える。成果物は机上に積み重なり、炎暑の調査や真冬の峠越えが現地で待つ。補償コンサルタントや起業者との打合せも続き、まさに緻密で過酷な業務のひとつであった。

 

 私が土地評価に真正面から向き合ったのは昭和60年前後。当時はパソコンが普及し始めた頃で、表計算ソフト「ロータス1-2-3」がようやく登場した時代。エクセルが爆発的に広がるのはさらに後である。いまでこそ簡単に処理できる計算も、当時の用地担当者は電卓を片手に深夜まで定型様式と格闘していた。その労苦を見た私は土地評価専用のソフトを作り出した。

 

中でも忘れられないのが「土地価格の調整前・調整後の比較表」だ。秋田県の仕様書では第43号様式に位置づけられるこの表は、等級ごとに土地を評価し(調整前)、総額と総面積を割り戻して平均化する(調整後)ことで買収単価を算定する。加重平均方式によるこの仕組みは、取得価格交渉の心理的負担を軽減する点で有効だったと私は考えている。だが、土地収用法や基準細則との整合性からか、やがて使われなくなってしまった。

 

この様式をソフト化した経験は、私に土地評価の効率化・自動化の必要性をさらに強く意識させた。後に取り上げる標準地比準評価法は土地評価を進める不動産鑑定士にとって険しい山道のようなものであり、軽装で挑めば難所で必ず立ち往生する。しかも、この業務に携わることで不動産鑑定士としてのポジションは大きく変わり、意見や判断の幅が狭められ、土地価格比準表に支配されることになる。

 

 いま第一線を離れて振り返ると、AIやDXの時代は土地評価を大きく変えていく可能性を秘めていると思う。多くの労力と知見を要するがゆえに、新しい技術が真価を発揮する余地がある。かつて「比較表」が私に効率化の必要性を示してくれたように、未来の土地評価にも新たな突破口があるに違いない。

 このコラムが、今後の損失補償をめぐる議論の一助となれば幸いである。次回は、前述の「土地価格の調整前・調整後の比較表」を端緒に、不動産鑑定士としての「値つけ」と「公共事業における土地単価」等について述べてみたい。

 

 

 

執筆者

【第1回】不動産鑑定士の独り言『プロローグ』

白沢 啓(しらさわ ひとし)プロフィール

 

昭和30年秋田県に生まれる。23歳から福島県の不動産鑑定事務所に4年、仙台支店に2年勤務する中、不動産鑑定士の資格を得る。28歳で地元秋田市にて不動産鑑定業者登録。

以来40数年、主に国道バイパスや河川および高速道路用地鑑定評価、ダム関連鑑定評価等公共事業にかかる用地買収の鑑定評価業務とともに、損失補償基準にかかる土地評価業務、用地説明会参加、標準地比準評価法のシステム化を行い、令和6年第一線から退く。

趣味はサックス(E♭)、絵画、スポーツトレーニング。